ヒトを活かして戦略をカタチに。『ミュウパートナーズ』

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人は変えられない。でも、人は変わる。

「どうして、この人は変わらないんだろう」
そう感じたことはありませんか。

  • 部下に何度も同じことを伝えているのに、行動が変わらない。
  • 家族やパートナーに言いたいことが伝わらず、関係がぎくしゃくする。
  • 良かれと思って言っているはずなのに、なぜか空回りしてしまう。

そんな経験は、誰にでもあると思います。

多くの場合、私たちはこう考えます。

  • 伝え方が悪いのかもしれない。
  • もっと強く言うべきなのかもしれない。
  • 相手の意識が低いのではないか。

と。

けれど、その考え方を続けていると、
一生懸命なのに報われない感覚が積み重なっていきます。

言う側だけが疲れ、関係は硬くなり、成果も出ない。

「ちゃんと向き合っているはずなのに、なぜうまくいかないのか」

そんな行き詰まりを感じることも少なくありません。

そもそも、人は他人の言葉で簡単に変わるものなのでしょうか。

「人を変えようとすること」自体が、実はズレた前提なのではないでしょうか。

人は変えられない。

でも、人は変わる。

その違いは、ある現場で、はっきりと見えました。

「変えよう」とした瞬間、すでに行き詰まっている

多くの現場で、「人が変わらない」という悩みは、
相手を変えようとした瞬間から始まります。

  • もっと主体的に動いてほしい
  • 考え方を改めてほしい
  • 言われたことくらい、ちゃんとやってほしい

経営者や上司、支援する側であれば、
こうした思いを一度も抱かずに仕事をすることは、ほぼありません。

そして多くの場合、
どうすれば相手が変わるか」という問いを立てます。

伝え方を工夫する。
言う回数を増やす。
時には、強い言葉を使う。

けれど、結果はあまり変わらない。
むしろ、関係がぎくしゃくし、
「なぜ分かってくれないのか」という不満だけが積み重なっていきます。

ここで起きているのは、能力や意識の問題ではありません。
前提そのものが、少しずれているのです。

人は、他人から「変えられよう」とした瞬間に、
無意識のうちに身構えます。
それが正論であっても、善意であっても、です。

この構造に気づかないまま努力を続けると、
頑張っている人ほど、疲弊していきます。

次に紹介するのは、
まさにこの「前提のズレ」がはっきりと表れた、
ある現場での出来事です。

不平不満ばかりの社員が、ある日を境に黙った理由

ある企業のコンサルティング現場での話です。

その社員は、ある先輩社員のことを強く嫌っていました。
面談時、会議の後、休憩中、ちょっとした雑談の中でも、
話題はいつもその先輩社員への不満に向かいます。

「贔屓(ひいき)している」
「なぜあの人だけ守られるのか」

そんな言葉が、繰り返し口にされていました。

その不満の背景には、
ある特定の社員の存在がありました。

その社員は、上司の身内でした。
縁故採用で入社してきた経緯もあり、
周囲から見て、少なからず気を遣われている存在だったといいます。

先輩がその社員の仕事を先回りして引き取っている様子を見て、
「上司に気を使って、贔屓しているに違いない」
そう思い込むようになっていきました。

実際には、
仕事を押し付けていたわけではありません。
本来その社員が担うべき業務を、
先輩が代わりにやっていた、というのが事実でした。

あるとき、その社員は、
溜め込んでいた不満を、先輩本人に直接ぶつけました。

返ってきたのは、
想像していた言い訳や反論ではありませんでした。

先輩は、
「贔屓しているつもりはない。
 あれは“お客様のため”に、先に手を打っているだけだ」
と、静かに説明したそうです。

それ以降、
その社員が先輩について不平不満を口にすることは、
ほとんどなくなりました。

謝罪があったわけでもありません。
注意や指導が入ったわけでもありません。
配置や評価制度が変わったわけでもありません。

ただ、
不満が、消えたのです。

変わったのは「人」ではなく、見ていた前提

先輩の説明を聞いたあと、
その社員の行動が劇的に変わったわけではありません。

急に前向きになったわけでも、
仕事への姿勢が改善されたわけでもない。
性格が丸くなったわけでもありません。

変わったのは、
その社員の中での、相手の見え方でした。

それまでその社員は、
「贔屓(ひいき)している」
「上司に気を使って動いている」
という前提で、先輩の行動を見ていました。

その前提が、
「お客様のために、先に手を打っていた」
という説明によって、静かに崩れたのです。

同じ行動でも、
前提が変わると、意味が変わります。

意味が変わると、
感情が変わります。

感情が変わると、
わざわざ不平不満を言う必要がなくなります。

だから結果として、
その社員は「黙った」。

誰かに変えられたのではありません。
自分の中で、
見ていた前提が置き換わっただけです。

この出来事は、
人は変えられない。でも、人は変わる
という言葉の違いを、はっきりと示しています。

人は、外から操作されて変わるのではない。
自分の中の前提が動いたときに、
結果として変わることがある。

それは、
意識改革でも、指導でもありません。

「人を変える」のをやめたとき、現実が動き出す

人を変えようとすると、
どうしても相手の内面や態度に意識が向きます。
意識を変えようとし、行動を正そうとし、
うまくいかないと、さらに力を入れてしまう。

けれど、その努力は、
多くの場合、相手の抵抗を強めるだけです。

今回の事例でも、
誰かが相手を説得したわけでも、
行動を矯正したわけでもありません。

いつの間にか、
その社員の中で、
見ていた焦点が、
相手ではなく、前提に移っていました。

「なぜ、そう見えていたのか」
「その解釈は、事実と一致しているのか」

問いを置く場所を変えると、
人ではなく、見方が動きます。

見方が動くと、
関係が変わります。
関係が変わると、
行動は“結果として”変わることがあります。

だから、
人は変えられない。
でも、人は変わる。

この違いを理解すると、
人材育成も、マネジメントも、
ずっと静かで、無理のないものになります。

人は変えられない。でも、人は変わる。

人は、他人から変えられるものではありません。
これは、少し冷たい現実かもしれません。

けれど同時に、
人は、自分の中の前提が動いたとき、
結果として変わることがあります。

今回の事例でも、
誰かが指導したわけでも、
態度を正したわけでもありませんでした。

ただ、
見えていた世界の前提が変わった
それだけで、不平不満は消えました。

人が変わらないと感じるとき、
私たちはつい、
「どうすれば相手が変わるか」を考えてしまいます。

でも、立ち止まって問い直す余地はあります。

本当に変える必要があるのは、
相手そのものなのか。

それとも、
自分が前提として置いている見方なのか。

人は変えられない。
でも、人は変わる。

この違いを知っているだけで、
人と向き合うときの力の入れ方は、
きっと変わってくるはずです。