ヒトを活かして戦略をカタチに。『ミュウパートナーズ』

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私たちは、思い込みの中で世界を見ている

私たちは、
「事実を見て、正しい判断をくだしている」
そう信じて日々を過ごしています。

目の前で起きた出来事を見て、
それをそのまま理解している。
多くの人が、そう感じています。

けれど実際には、
私たちが見ているのは
事実そのものではありません。
そこに意味が与えられた、
意味づけられた事実なのです。

「事実」とは、
実際に起きた、ただの出来事です。
そこには、良いも悪いも、
正しいも間違いもありません。

そこに
「どういう意味を持つ出来事なのか」
という解釈が加わった瞬間、
私たちが見ている世界は変わります。
事実は、意味づけられた事実へと姿を変えます。

そして私たちは、
その意味づけられた事実を、
事実そのものだと信じて判断しています。

では、なぜ私たちは
これほど自然に、
「事実」と「意味づけ」を混同してしまうのでしょうか。
なぜ、自分の見ているものが
「意味づけられた事実」だと気づけないのでしょうか。

私たちは「事実を見ているつもり」でいる

私たちは、自分が見ているものを
「事実そのもの」だと感じています。
目で見て、耳で聞いて、確認した。
だから間違っているはずがない、と。

けれど、その感覚自体が、
すでに思い込みの中にあります。

人は、出来事をそのまま受け取ることができません。
見た瞬間、聞いた瞬間に、
無意識のうちに意味づけが始まります。
それが自然すぎて、
「解釈している」という感覚すらありません。

たとえば、
表情が硬い人を見て
「機嫌が悪そうだ」と感じたとき。
遅れてくる相手を見て
「ルーズな人だ」と判断したとき。

私たちは、それを
事実を見た結果だと思っています。
しかし実際には、
見たのは「表情が硬い」「時間に遅れた」という事実だけで、
「機嫌が悪い」「だらしない」という意味づけは、
自分の中で付け加えられたものです。

この意味づけは、
過去の経験や、価値観、
これまでに刷り込まれてきた「常識」から
瞬時に引き出されます。
速く、正確で、効率的に。
だからこそ、私たちは疑いません。

そしてここが重要な点ですが、
この意味づけは、
本人にとってはとても合理的です。
自分なりの理由があり、
筋も通っているように見える。
だからこそ、
「思い込みだ」とは感じられないのです。

こうして私たちは、
意味づけられた事実を
「事実そのもの」だと思い込み、
その前提で判断し、行動します。

では、その意味づけは、
いったいどこから生まれているのでしょうか。

次に、その仕組みを整理します。

意味づけは、どこから生まれているのか

意味づけは、
冷静で客観的な思考の結果として
生まれているわけではありません。
私たちは、過去に積み重ねてきた経験をもとに、
瞬時に「それらしい意味」を当てはめています。

たとえば、
過去に同じような場面で嫌な思いをしたことがあれば、
似た状況に出会ったとき、
同じ意味づけが自動的に立ち上がります。

「表情が硬かった人は、機嫌が悪かった」
という過去の経験があると、
「表情が硬い」
という事実に対して、
「機嫌が悪いのではないか」
という意味づけが結びつきます。

これは、
意識して思い出しているわけではありません。
ほとんど条件反射に近い形で起こります。

重要なのは、
こうした意味づけが、
本人にとっては合理的だという点です。
過去の経験に照らせば、
そう解釈する理由はいくらでも見つかる。
だから疑う必要を感じません。

意味づけは、
間違っているから生まれるのではありません。
人が世界を理解し、
素早く判断するために備えている仕組みです。

問題が生じるのは、
その意味づけを、
「事実そのもの」だと信じ切ってしまったときです。

意味づけ=“思い込み”が発生するメカニズム

意味づけ、つまり私たちの解釈は、
突然、根拠なく生まれるものではありません。
私たちはそれぞれ、
これまでに積み重ねてきた経験を通して
出来事を見ています。

まず影響が大きいのが、過去の経験です。
似たような場面で何が起きたか、
そのとき自分はどう感じたか。
こうした経験は、
次に同じような状況に出会ったときの
「意味づけの型」として使われます。

次に、成功体験や失敗体験があります。
うまくいった判断、
痛い目を見た判断。
それらは、
「こうすれば大丈夫」
「これは避けるべきだ」
といった判断の近道として使われます。

さらに、価値観や感情も関わっています。
何を大切にしてきたか、
何に不安や違和感を感じやすいか。
同じ出来事でも、
そこにどんな意味を見出すかは、
こうした内側の状態によって変わります。

これらはすべて、
私たちが世界を見るときの
一種のフィルターとして機能しています。
私たちはそのフィルターを通して、
出来事を理解し、判断しています。

そして、このフィルターが
あまりにも自然で、
疑われることがなくなったとき、
それは“思い込み”として固定されます。

大切なのは、
このフィルターや思い込みが
間違っているから生まれるのではない、
という点です。
人が複雑な世界を理解し、
素早く判断するために備えている
ごく自然な仕組みでもあります。

ただし、
その存在に気づかないまま
「これは事実だ」と信じ切ってしまうと、
見えている世界は
知らないうちに限定されていきます。

ここまで見てきたように、
私たちが見ている世界は、
思い込みと切り離されたものではありません。
私たちは、思い込みを通して世界を見ているのです。

思い込み前提の世界

意味づけが疑われなくなったとき、
それは「思い込み」として固定されます。

この思い込みは、
単なる考えの一つではありません。
私たちは、
その思い込みを前提として世界を見るようになります。

前提になる、というのは、
「そうかもしれない」という仮説ではなく、
「そういうものだ」という扱いになる、
ということです。

たとえば、
「この人は機嫌が悪い人だ」
「このやり方はうまくいかない」
「この状況には問題がある」

こうした思い込みは、
その後の判断や行動の出発点になります。
事実を一つひとつ確認する前に、
すでに結論の方向が決まってしまう。

重要なのは、
本人はそれを
思い込みを前提にしている、
という自覚をほとんど持たないことです。

あくまで、
事実を見た結果、
自然にそう判断しているだけ。
そう感じています。

こうして、
思い込みは前提として固定され、
その前提の上で
判断が積み重なっていきます。

この段階では、
まだ衝突や問題が
表に出ていなくても構いません。
ただ、
見えている世界が、すでに限定されている
という状態が生まれています。

そして次に現れるのが、
「同じ出来事を見ているはずなのに、
 話が噛み合わない」という感覚です。

なぜ、そんなことが起きるのでしょうか。

私たちは、それぞれ違う色の眼鏡で世界を見ている

ここまでの話を、
別の表現でまとめると、
私たちはそれぞれ
色の違う眼鏡をかけて世界を見ている
と言えるかもしれません。

その眼鏡の色は、
これまでの経験や体験の積み重ねによって
自然につくられてきたものです。
自分で選んだという感覚はなく、
気づいたときには、
当たり前のようにかけています。

そして重要なのは、
同じ色の眼鏡は一つもない
ということです。

あなたが世界でたった一人であるように、
あなたと同じ色の眼鏡をかけている人はいないのです。

似たような経験をしていても、
まったく同じ人生を歩んできた人はいません。
だから、
同じ出来事を前にしても、
まったく同じ色で
世界を見ている人はいないのです。

このとき、
色を揃えようとすることはできません。
相手の眼鏡を外させることも、
自分の眼鏡を押しつけることもできない。

できるのは、
相手がどんな色の眼鏡で世界を見ているのかを知ること
だけです。

そして、そのために必要なのが、
対話です。

対話とは、
相手を説得することでも、
正しさを競うことでもありません。
相手が見ている世界の色を、
そのまま知ろうとすることです。

色が違うままでも構いません。
同じ色になる必要もありません。
ただ、
「違う色で見ている」という前提に立てたとき、
世界の見え方は、
少しだけ変わります。


色眼鏡に気づいたことで、
人が変わっていった事例はこちら
▶人は変えられない。でも、人は変わる


私たちは、
それぞれ違う色の眼鏡をかけて
世界を見ています。

その眼鏡は、
これまで生きてきた時間の中で、
自然につくられてきたものです。
簡単に外せるものではありませんし、
外す必要もありません。

ただ、

  • 相手の言動に違和感を覚えたとき
  • 何かを「これは正しい」と強く感じたとき
  • 誰かを批判したくなったとき

そんな瞬間に、
一瞬だけ立ち止まってみることはできます。

今、自分はどんな色の眼鏡をかけて
この出来事を見ているのだろうか。

そして、
もし少し余裕があれば、
ほんの一瞬で構いません。

色眼鏡を外してみませんか。

同時に、
もう一つだけ、
思いを向けてみてほしいことがあります。

相手は、どんな色の眼鏡をかけて
この出来事を見ているのだろうか。

正解を当てる必要はありません。
理解する必要もありません。
ただ、
自分とは違う色で
世界を見ているかもしれない、
そう想像してみるだけで十分です。

事実は、
意味づけをされる前の姿で、
静かにそこにあります。

その事実に立ち戻れたとき、
自分の見え方も、
相手の見え方も、
少しだけ違って感じられるかもしれません。