ヒトを活かして戦略をカタチに。『ミュウパートナーズ』

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怒鳴る人

こんな経験、ありませんか。

それまで普通に話していたのに、
突然、声を荒げる上司。

こちらに非があるとは思えないのに、
怒鳴るようにクレームをぶつけてくるお客さん。

理由はよくわからない。
説明はしている“はず”なのに、伝わってこない。

それでも、相手の語気だけが前に出て、
こちらの言葉は遮られてしまう。

そんな場面に出会うと、
突然の出来事に驚き、
言葉が出なくなったり、
体が固まってしまったりすることがあります。

何か返さなければと思いながらも、
頭が真っ白になり、
気持ちが萎縮してしまう。

多くの人は、そこでこう考えます。

  • 「パワハラだ」
  • 「感情的な人だ」
  • 「短気な人なんだろう」
  • 「話が通じない人だ」

そう感じるのは、当然です。
怒鳴るという行為は、
相手を威圧し、思考を止める行為だからです。

ただ、そこで思考を止めてしまうと、
この状況がなぜ起きているのか、
そして自分はどう関わればよいのか、
何も見えず、何も変わらないままになってしまいます。

怒鳴るという行為には、感情だけでは片付けられない
いくつかの要因があります。

その一つに、
適切なコミュニケーションを学ばないまま、
大人になってしまったケースがあります。

怒鳴る=強い人、ではない

怒鳴る人は、
強く、支配的に見えるかもしれません。

けれど、コミュニケーションの構造として見ると、
怒鳴るという行為は
決して力の表れではありません。

それは、
怒鳴る以外の関わり方を持っていない状態
として現れる行動です。

人と物事を進める方法は、本来ひとつではありません。

  • 状況を整理する。
  • 認識のズレを確認する。
  • 問いを投げ直す。
  • 一度、話を止める。

こうしたやり方を学んできていれば、
怒鳴る必要はありません。

それでも怒鳴るという行為が使われるのは、
他のやり方を知らないからです。

怒鳴るという行為は、
その中で最も単純で、原始的な方法です。

声の大きさで相手を止める。
圧で場を支配する。

それは対話ではなく、
未熟な関わり方がそのまま表に出ている状態です。

なぜ、そのやり方が選択されるのか

人は、過去に「通ってしまったやり方」を学習します。

怒鳴ったら場が静まった。
怒鳴ったら相手が黙った。
怒鳴ったら話が終わった。

そうした経験が積み重なると、
その行為は、
「適切かどうか」とは無関係に、
通用する方法として固定化されます。

もう一つのケースとしては、
幼い頃から、
声を荒げる人が場を支配する環境で
育ってきた人もいます。

家族の中に怒鳴る人がいた。
声の大きい人の機嫌で、
空気や会話が決まっていた。

そうした環境では、
「怒鳴れば場はコントロールできる」
と無意識に学習し、
当たり前の前提として刷り込まれます。

だから、特別な事情がなくても、
自分の思い通りにならない場面で、
反射的に怒鳴る。

そこに深い思考はありません。
その人が経験してきた、通用するやり方が選択されているだけです。

ほんの少し、ひいて見る

怒鳴られたとき、
驚いて萎縮したり、
自責の念に駆られるかもしれません。

「自分が何か間違えたのかもしれない」
「自分の対応が悪かったのかもしれない」

そして、怒鳴られたことで、
少なからず傷つくかもしれません。

でも、その傷は
無抵抗に引き受けるべきものではありません。
真正面から受け止める必要もないのです。

怒鳴るという行為は、
相手のコミュニケーションの未熟さが外に現れたものです。

もし怒鳴る人を見たとき、
一歩ひいて、客観的に見てみてください。
その人は、どんな「通ってしまったやり方」を繰り返しているのでしょうか。

不適切な経験を重ねた結果、
他にやり方を知らず、
その行動が選ばれているのかもしれません。

この見方に立つと、
心に直接突き刺さる感覚は、
少し弱まりませんか?


怒鳴るという行為は、
適切なコミュニケーション手法とはいえません。

また、深く傷ついた側にとっては、
どんな背景があったとしても、
許す理由にはならないのかもしれません。

怒鳴るという行為は、相手の問題です。
あなたが引き受ける必要はないのです。

だから、一歩ひいて見てみる。
不適切な行為から自分の心を切り離し、
余計に傷を深くしないための、健全な距離の取り方です。